2009年07月01日

ヴィラ=ロボス没後50年

今年はブラジルの作曲家エイトル・ヴィラ=ロボスの没後50年だそうです。
記念コンサートって、神戸ではないのかな。
神戸でも没後45年の時には記念コンサートなるものもあったそうな。
今年は何もないのかな....
東京でブラジル風バッハ全曲演奏会があるのを見つけましたが、東京まで行くのはちょっとね....
しかもブラジル風バッハを全曲聴くのはかなり疲れそう。
まだヴィラ・ロボスのCDは一枚も持っていないので、没後50年を記念しましてまずはブラジル風バッハを買ってみましょう。
ヴィラ・ロボスの項はCDがちょっとしかなくて、なかなか見つけられませんでしたので、タワレコのクラシックコーナーの方に聞いてみました。
この方、以前ドゥダメルのCDを買いに行った時にも、あちこちからちゃっちゃーとCDを集めて来てくださった方でした。
クラシックコーナーで目当てのCDを探すのは結構大変なんですよね。
作曲家別、演奏家別、楽器別、指揮者別.....などなど分類が色々あるし、同じ曲が色々なCDに入っているし、たまにしか店頭に出向かない私にはとてもじゃないけどお目当てのCDを見つけられません。
その点、お店の方はさすがでした。
でも、どんなCDショップにもこんなすごい方がいるとは限りませんよね。
タワレコとジュンク堂のお店の方の素早さ、物知りさにはいつも感動してしまいます。
さて、私が初めてブラジル風バッハを聴いたのは村治佳織の演奏でした。
ああ...村治佳織の演奏はすばらしかったな....
そしてドゥダメル指揮の5番も感動的だった!
当然、村治佳織のCDを買うということも考えましたが、せっかくの機会ですのでここはひとつ全曲聴いてみよう!ということで、全曲入りのCDが一つあったのでそれを買ってきました。
どうしても全曲っていうと、あまり気に入らない、イマイチだな〜と思う曲もあるわけです。
実際のところ、どうもたいくつな曲のところではついついウトウトしてしまうんですね、これが。
だから様々な演奏家によって、繰り返し演奏される曲というのは中でもきわめてよく出来た作品で、聴いて楽しむ分にはそうしたCDを購入してくる方が良いのかもしれません。
でもまあ、気になる作曲家の音楽を体系的に聴いてみたいな、その作曲家について少し掘り下げてみたいな、という場合にはやはり退屈でもなんでも全部聴いてみないとね。
それに、案外皆とは違うところにお気に入りの名曲があるかもしれませんしね。
退屈だな〜と思っている曲も繰り返し聴いているうちにとても良く思えてくるということもあるし、それを聴く自分自身の状況の違いによっても良いと思う曲が変わることもありますからね。
ここはひとつチャンスがあれば食わず嫌いをせずに全曲聴いてみましょう。
ブラジルといえばサンバ!って感じですけれども、クラシックの世界でもこんな偉大な作曲家も生んでいたんですね。
ブラジルと日本の縁というのは古く、日本にも移民の方がたくさんいらっしゃるし、ついこの前までの活況時には多くの方が仕事を求めて日本に来ていました。
残念ながらブラジルの方に知り合いはなく、スペイン語圏でもないので今まであまり注目してなかった国ですが、俄然興味がわいてきました。
いや待てよ、セルジオ・メンデスはブラジルだったけ。
ボサノヴァもブラジルだし、あれ、ブラジル音楽は結構好きだぞ?
そういえばブラジル料理を食べに行こうというお誘いも受けてたな....
ふふふ、なんだか今年はブラジルイヤーになりそうな予感。
posted by ケロ at 21:14| Comment(0) | 音楽

2009年06月22日

夏至Night

昨日はとうとう夏至でした。
とうとうというのも、この日を境に季節はゆるやかに秋冬へと向かっていくのです―そう、私が大の苦手とする寒い季節に。
とはいえ本格的に暑さが増してくるのはこれから、何言ってやがんでえ、とお思いの方もたくさんいらっしゃることでしょう。
なるほどそのとおり、これからが夏本番ではあります。
しかし、私の気分も太陽も、夏至を頂点に冬に向かってどんどん下降していくのです.....

何はともあれ昨日は夏至。
夏至と冬至にはキャンドルナイトです。
今年はスターバックスも参加ということで、いつものスタバに行ってきましたが、な〜んだロウソクはないのね。
確かにどこにもロウソクつけるなって書いちゃいなかったけどね。
なんとなく、お約束だし。
そう言われてみれば、なんだか薄暗いような....といった感じの店舗でドリンクを頂いてきました。

しかしなんですな、やはり家でキャンドルナイトしておくのが一番エコなような気がします。
posted by ケロ at 16:15| Comment(0) | 日記

2009年06月20日

ぎょぎょっっ!!オオスカシバ

ええ、もうずいぶん前のことですから私もすっかり忘れていました。
すがすがしいそよ風の吹くお昼休みに、勤務先の庭のベンチでお弁当を食べていたら何やら巨大な蜂のようなものが視界に入り、お箸やらお弁当箱のふたやらをひっくり返しながら這々の体で逃げ帰ったのでした。
その蜂の大きなこと、大きなこと!
でも、クマバチやスズメバチではないんですよね。
アシナガバチでもないようだし、ミチバチともちょっと感じが違うような....
巨大な体に、透き通った羽の蜂のような生き物ってなんだ!!とさっそく我が家の昆虫博士にたずねたところ



なんとこれはオオスカシバという「蛾」だったのでした。
昨年の夏にもホバリングするという不気味な蛾の存在を知ったのですが、それはいかにも蛾らしい地味な色柄だったのでさほどの衝撃はなかったのですが、今回は衝撃で目がくらくらしてしまいました。
どうやら幼虫はクチナシを食草としているらしく、そういえば庭にはクチナシだらなのです。

そうそう、クチナシといえば私はあの香りがすこぶる苦手なのですが、咲いたばかりのクチナシの花は目映いばかりに白くて可憐です。
ところがこれが枯れてくると実に汚いんですね。
もうあちこちで茶色く枯れてしまってどうにも見苦しいのですが、そうは言ってもいちいちそれを摘んでまわるのも大変な重労働だそうで(ほんとにクチナシの木ばっかりなんです)、ついつい放っておかれてしまうのです。
毎日むせかえるようなクチナシの香りで、ちょっとまいってしまっている今日この頃です。

そんな環境なものでオオスカシバにとっては楽園なのかもしれません。
私はこんな奇妙な虫は生まれて初めて見てほんとうにびっくりしているのですが、多くのスズメガが夜行性なのに対しオオスカシバは昼に活動し、結構どこでも見る蛾なのだそうです。
つい最近もこのオオスカシバが花の蜜を吸っているところを目撃し、連れが「蜂や」と言ったところを「ううん、これは蛾やねんで」と得意げに教えてあげました。
えっへん。

正体がわかったとしても、やっぱり気持ち悪。
こうして写真で見る分にはきれいな生き物だな〜、結構かわいい顔してるな....なんて思えるんですけどね。
実物はダメダメ。
蛾なんてただでさえ苦手なのに、ホバリングするなんて!!
posted by ケロ at 00:08| Comment(0) | 日記

2009年06月09日

1901年 みだれ髪



「新潮文庫 20世紀の100冊」の第1冊目は、先日もご案内したとおり与謝野晶子の「みだれ髪」です。
まさに新世紀の幕開けにふさわしい、力のある1冊だと思います。
与謝野晶子との最初の出会いは、小学校だか中学校だかの時の教科書でした。


清水へ祇園をよぎる桜月夜 今宵逢ふひとみな美しき


すばらしい1首です。桜の歌としても晶子の歌の中でもとても好きな1首です。
まだ肌寒い春の宵、人々の雑踏、はずむ心...とてもリアルに情景が思い浮かびます。
この時晶子が見た祇園の桜は、きっとまだ力強く咲いていたことでしょうね。
生き生きとして瑞々しく、力強く、そして艶っぽい彼女の歌にたちまち夢中になったのを覚えています。
ところが今回、改めて読もうと思ったらどこにもないんですね。
仕方なくもう一度買ってきました。
う〜ん、新潮文庫の思うツボだな。

さて、そんな新世紀の第1冊目を関川夏央氏はどのように紹介しているでしょうか。

「商家の娘の烈しい自己肯定は時代原理への無意識の挑戦」

そうですね、与謝野晶子の歌を鑑賞するときに、彼女がこれらの歌を発表した時代を知らずしてその魅力を味わいつくすことはできないでしょうね。
「文学作品は、時代から独立して存在しているわけではない」
まさにそのとおり!
1901年といえば明治34年、34年前は江戸時代だったんですよ!
当時の社会状況の中で、まっすぐ前を見据えて、情熱のあふれるままに生きる女性がどのように受け止められたか。
確かに今と比べると女性の生き方というのは限られていたかもしれませんが、だからこそこのようなすばらしい歌も生まれたのでしょうね。
当時も多くの少女の心をたらえたし、そして少女の私にとっても情熱的に生きる与謝野晶子の姿は憧れるものでした。
それにしてもその頃からどうも納得のいかないのは、こんなにも情熱的で、勇気のある女性がなぜ与謝野鉄幹なんかにそんなに夢中になったのかということです。
もちろん、与謝野晶子の才能を見出したのは与謝野鉄幹であり、与謝野晶子のすばらしい作品の数々は鉄幹なくしては有り得なかったのだろうなとは思いますが。
蓼食う虫もなんとやらで、こればっかりは個人の好みの問題なのかもしれませんが、どうも私にとっては鉄幹という男は胡散臭い山師のようにしか見えないんですよね、昔から。
男性から見ると鉄幹という人はどんな風に見えるんでしょうね。
また、男性にとって晶子のように烈しく、静活力のある女性ってどうなんでしょう?

それでは「みだれ髪」より、好きな歌をいくつかご紹介いたしましょう。

「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
「うすものの二尺のたもとすべりおちて蛍ながるる夜風の青き」
「夕ぐれを花にかくるる小狐のにこ毛にひびく北嵯峨の鐘」

などなど数え上げたらきりがありません。
彼女の歌はとても率直で、色彩豊かで夢見心地、そうつまりロマンティックなのです。


さて「新潮文庫 20世紀の100冊」では、その時代を反映する作品をひとつひとつ紹介しながら、その当時どんな出来事があったかも記しています。
1901年、明治34年はどんなことがあったのか。
福沢諭吉、中江兆民が亡くなり、円谷英二、ウォルト・ディズニー、昭和天皇が誕生しています。
なんだか新しい時代の始まりを感じさせますね。
posted by ケロ at 20:25| Comment(0) |

20世紀少年&21世紀少年 一気読み



「20世紀少年」は1999年〜2006年まで週刊ビッグコミックスピリッツに連載。
「21世紀少年」は2007年1月〜7月まで。
浦澤直樹氏によるSFサスペンス漫画。
上の画像は、表紙が好きな21巻。

「おともだち」の正体がわかり、たいへんすっきりいたしました。
例によって完全に物語世界に入り込んでしまい(こいう時の私は過集中)、何巻だっけかな?中からメモが出てきたときは心底驚いてしまいソファから転げ落ちてしまいました...
それほど熱中してしまうくらい、おもしろい作品だったてことなのさ。
物語最初の方で登場人物と時間軸が入り乱れてしまうところは、あらかじめ映画で予習済みなのですいすい読みすすめて―というよりも「おともだち」の正体知りたさについつい猛スピードで読み進んでしまうのですが―一気に「おともだち」の正体に!
ところがところが、あらら「おともだち」があんなことになっちゃって、さらに「おともだち」がこんなことになっちゃって!
おいおい、結局「おともだち」って何なのよ。
「おともだち」誕生の裏には、きっびし〜い子供の社会があり、それが本当にきっびし〜いのかと言うとそんな風でもなくて....
結局子供ってとっても忘れっぽくて、あきっぽくて、全然頓着してなかったりして.....
それで結末はどうかっていうと、よかったような、可哀そうなような、なんだか釈然としない気持ちが残りつつも、なんとなく「ええもん見たな〜」っていう充足感でいっぱいになったような、みなさまにはさっぱりわからないであろう感想をつらつらと述べるのでした。
つまるところ、これは傑作だからぜひ読んでねということなのです。
最後まで読んでしまった私は「第1章 終わりの始まり」のあとケンジやおともだちがどうなるのか全部わかってしまっているわけですが、だからといって映画へ興味がなくなるどころか、益々見たくてたまらんわけで、ぜひとも映画も観てね。
posted by ケロ at 20:23| Comment(0) |

20世紀少年 第1章 終りの始まり



監督:堤幸彦
原作:浦澤直樹
出演:唐沢寿明 豊川悦司 常盤貴子 香川照之 石塚英彦
   宇梶剛士 宮迫博之 生瀬勝久 小日向文世 
   佐々木蔵之介 石橋蓮司 中村嘉葎雄 黒木 瞳 

何これー!!
私はこれがかの浦澤直樹氏の大ヒットコミックが原作だということを、恥ずかしながら全く知らなかったのです。
今年の1月第2章の公開で、いい加減しつっこいくらいにCMが流れていて、でもって確かTVでもやってたんですよね、であのマークから目が離せなくなり、加えて主題歌T.REXの「20th Century Boy」がしっかりと耳にこびりついてしまい、何なんだこれは?何なんだこれは?という状態になってたのでありました。
それからほどなく映画も終わり、CMもなくなり忘れかけていた頃、知人がTSUTAYAでアルバイトをしているということを知り、ではではということで久し振りに足を運んだならば棚にずらりと並んでいたのがこれでした。(そう、あれはインフルエンザ週間のことでした)

その映画がおもしろいかどうかというのは、だいたい最初の5分ほどで既に決着がついていると、常々私は思っています。
最初の5分が途方もなくたいくつで、ちょっとでもつまらないな...などと感じるような映画であれば、ほぼ間違いなく最後まで観てもしょうもないです。
いや、もう5分もすればおもしろくなるかもしれない、いやいや、きっと最後の最後で大どんでん返しなんかがあって「うっほー!」なんてことになるかもしれない....期待しつつ見つづけるのですが、そんな期待が裏切られなかったことなんてほぼ皆無なのであります。
そして最初の5分でぐぐ、ぐいっと映画の世界へ引き込まれてしまうような作品は、間違いなく最後までおもしろいのです。
しかるに、この20世紀少年は最初のシーンでもう虜になってしまい、一瞬のうちに私は彼らの生きる2000年以前の東京に、そして昭和の町並みに引き込まれてしまったのでした。
彼らとともに昭和に遊び、世紀末の東京でえたいの知れぬ強大な悪に恐れおののいてしまったのです。
でもって「あんた、誰ー!!」です。
おともだちの正体がわからずして、私に安眠の訪れる日はあろうか、なかろうか?
推理小説を最後から読むような私です、おともだちの正体がわからずに毎日を送れようはずがありません。
第1章鑑賞し終えるやいなや、Yahooオークションで20世紀少年全22間プラス21世紀少年上下巻を大人買いしたのでありました。


今年の夏はいよいよ最終章!
もう、おともだちの正体はわかってしまったけれども、だからといって映画のおもしろさが割り引かれてしまうことはないでしょう。
それくらい、原作の完成度もさることながら、映画の出来も(少なくとも第1章においては)すばらしかったです。
原作のもつ雰囲気を損なうことなく―というかキャスティングがすごく良く出来てる(むしろ、この人ありきで浦澤氏が描いていたような)―話の展開も無理なく映画にアレンジしてあります。
原作は原作で、映画は映画でそれぞれに楽しめてしまう、1粒で2度おいしいのです。
映画のこの後の展開が楽しみです♪
ちなみに第2章は、最終章の公開にあわせて8月28日に発売です。



posted by ケロ at 20:17| Comment(0) | 映画

2009年06月08日

予想どおりに不合理



「予想どおりに不合理」 ダン・アリエリー著 早川書房

これは読まなければ損です。
確実に損をします。

聡明であるはずの人たちが、なぜ何度も同じ失敗を繰り返してしまうのか。
善良な人がなぜ、しばしば不正を働いてしまうのか。
私たちはそうとは知らず、しばしば不合理な行動をしてしまうようである。
そしてその不合理な行動には規則性があり、予想可能なものだとしたら、何かうつべき手はあるのだろうか。
わたしたちは、自分が下す決断を常に自分自身でコントロールしているつもりでいるけれども、その決断にはさまざまな力(感情、社会規範などなど)が影響をおよぼしていて、しかもこうした力の影響をとんでもなく過小評価したり、全く無視しているとしたら?
人々の不合理な行動に着目した著者が、ユニークな実験によって答えを導き出す過程はとてもおもしろく読めるだけでなく、そこから導き出される答えには人間の本質をとらえるものであり、今日の社会問題の数々を解くヒントにもなるものです。

とくに、「社会規範のコスト」の項は興味深かったです。
社会規範と市場規範がぶつかると、市場規範が優勢になるのだそうです。
私の私淑する内田樹先生も常々言っておられるように、教育の問題(学力の低下、学習意欲の低下などなど)はまさにこの社会規範が市場規範にとってかわられた為に生じているのだということが、こんなところでも証明されいました。
このことは教育に限らず、広く私たちの社会に影響を及ぼしている問題のように思われます。
どうやらここ日本でも、私たちをとりまく社会が市場規範優勢な状況になって久しく、そこから様々な問題や軋轢が生じているのですね。
そしていったん優勢になった市場規範は、なかなかちょっとやそっとじゃ崩せないようですよ。あらま、大変。
社会規範、市場規範がいったいどういうことなのか、ぜひ本書を読んで確かめてください。

どの実験も本当に興味深いのですが、もう一つ不正についての実験がなかなか衝撃的だったのでご紹介いたしましょう。
2004年、アメリカの強盗事件の被害額は合計で5億2500万ドル、1回の強盗事件の被害額は平均すると1300ドルだったそうです。
ところが、従業員による職場での盗みや詐欺は年間およそ6000億ドルにおよぶと推定されているそうです。
そして保険業界の報告によると、毎年個人契約の被保険者たちは財産損失を申請するときに架空の240億ドルを上乗せするとか。
小売業界では、洋服を不正に返品して払い戻しをさせる顧客による被害が年間160億ドルにもおよんでいるのだそうです。
いったい人はいかなる時に不正直になるのか。
どんな時に人は不正を働いてしまうのか。
いったいこんなことを実験によって確かめられると思いますか?
それが、なんともユニークな実験によって、人がどんなときに不正を働いてしまうのか。
それも、普段は賢く、善良な人が。
これはおもしろいやら、ちょっとうしろめたい思いがするやら....
複雑な心境ではありますが、人間がこうした傾向をもっていると理解することで、自分自身をより深く理解できる助けとなることでしょう。
そして自分という人間が、どんな状況で、どういう風な間違いを犯してしまう可能性があるのかを知ることで、いろいろなやっかいごとを避けることができるかもしれません。
posted by ケロ at 19:39| Comment(0) |

2009年06月04日

新潮文庫 20世紀の100冊

新潮文庫の100冊が店頭に並ぶと、ああ今年も夏がやってきたんだな〜と思う。
思えば中学生の頃より、何度夏休み100冊読破に挑んでは玉砕してきたことか。
だって、全く興味のないタイトルもあるんだもん!!
でもその当時より、グッズ欲しさにとにかく2タイトル買うという週刊はいまに至っている。

さて、「新潮文庫 20世紀の100冊」は、毎年夏に催される100冊とは別物。
20世紀を、1年1冊本で振り返ってみようという試み。
文学作品はその時代、その時代を反映するものであり、その作品が書かれ、受け入れられたのには理由があるわけで、そしてそれが今まで読み継がれているということにも当然理由があるわけなのである。
うんうん、そうだよね〜。
もとはといえば、自分の生まれた年の一冊はなんだったのかが非常に気になり手にとった1冊ではあるが、関川夏央の案内を読んでいると、もうそれが読みたくて読みたくてたまらなくなってしまうからあら、不思議。
そうだ、私も20世紀の文学界をたどってみよう!
と、またまた無謀なことを思いついてしまったのである。
なあに、限定100冊のこと、岩波の赤帯を読むとか、緑帯を読むなどという大胆不敵な試みに比べれば軽い、軽い。(たぶん)

未読山積み本、読みっぱなしで忘れ去られていく本が数々ある中、新たに新潮文庫100冊読破に挑むというのも、なんだかな....って感はあるし、私のことだから途中で挫折するやもしれませんが、
今はただこの企画にとりつかれているしだいでございます。
というわけで、改めて新潮文庫の100冊の私の感想をまじえつつ、関川夏央の「新潮文庫 20世紀の100冊」を次回より紹介していきたいと思いますので乞うご期待。

予告、記念すべき20世紀第1冊目は「みだれ髪」。
なるほど、なるほど、新世紀の伊吹を感じます。
posted by ケロ at 18:50| Comment(0) |

2009年06月03日

夏の夜と、栗蒸し羊羹

夜のベランダに出て、夏の夜の匂いのする空気を胸いっぱいすいこみながら、先々週の騒ぎはいったいなんだろうと思い返してみる。
小・中・高校だけでなく、幼稚園・保育園そして大学までもが1週間もの間休校になるという、まさに非常事態宣言が出された先々週。
街行く人はみんながみんなマスクを着用しているという、前代未聞の光景が三宮で繰り広げられておりました。
ああ、今歴史に残る1シーンを目の当たりにしているのだな...となんだかとても感慨深くなりました。
学校で歴史を学習している頃には、歴史の教科書に載るような出来事を実際に目にするなんて有り得ないですものね。
万博の頃は小さすぎてほぼ記憶にないし。
オイルショックでトイレットペーパを買うおばちゃん達の姿はなんとなく覚えているけれども、当時我が家は落とし紙を使っていたのであまり実感ないんですよね。
しかも、母は全然そんなことで慌てるような性質ではなかったし。
あるいは、危機に備えるという考えがさっぱりなかったのか。
話を今回の新型インフルエンザ騒動にもどしますと、マスクと消毒薬はバカ売れで品切れ状態が続いた半面、観光産業やサービス業の皆さまにとっては大打撃の1週間(どころじゃないか)だったようですね。
実際三宮界隈では人出が本当に少なく、土曜・日曜ともなれば座るところがないジュンク堂書店でも椅子がガラガラで、リストアップしていた本をゆっくり、じっくりチェック出来て、とてもステキな週末を過ごすことができました。
ジュンク堂にしてそうだったということは、三宮界隈のありとあらゆるお店屋さんで閑古鳥が鳴いているという状況だったのであろうことがうかがえます。
それは、こんな状況にもかかわらずウロウロ出かけていく人にとってはラッキーな感じではありますが、お店の側としてはこのような状況が1週間以上も続くとちょっと困ったことですね。
マスク、消毒薬だけでなく、お米や水まで店頭から姿を消すような事態になっていたところもあったようです。
外出できない間の食料確保だということだそうです。
あの後たいした広がりもみせず、なおかつインフルエンザの症状そのものが軽かったという結果から考えると、笑い話のようなことばかりですが、あのような非常事態宣言がなされるとこういう風になってしまうのだなということがよく分かりました。
日本人ってほんとにまじめな国民性なんだなと、つくづく実感。
半面、実際にもっと恐ろしい細菌やウィルスが蔓延した場合、今回のごとき非常事態宣言だけではどうにもならないようなほころびも見えたような気もします。
たまたま電車に乗り合わせたご婦人方の話が(大きな声なので)耳に入ってくるのを、聞くともなしに聞いていると、インフルエンザはもちろんのことウィルスのことやら、感染予防についてのことやら、いろいろと勘違いして覚えていらっしゃるようなのも大変気になりました。
今年の秋から冬にかけて、また新型インフルエンザの流行が懸念される中、多くの課題があるように思います。

ところで、この間オークションで買いものをしましたら、宮城県から送られてきた品物の中に「おまけ」としてマスクが同封されていました。
なんだかとてもうれしかったです。

ゴールデンウィークが終わったところに、いきなりふってわいた連休(私は仕事がら、全くすることがなく中3日休みました)で、なんだかよくわからないうちにあっという間に5月は終わってしまいましたね。
そして5月の最後の休日、金沢のお菓子を頂きました。
なにせ京都っ子なもので、いくら金沢といえども京都の和菓子にはかなわないであろうと長い間思っておりましたが、この度のこの栗蒸羊羹には感服いたしました。
羊羹はあまり好きではないのですが、栗蒸羊羹は喜んで頂きます。
しかしこれも栗がちょっとしか入ってないと、限りなくただの羊羹に近くなり、あまり好きではないということになってしまいます。
ポイントは栗がたっぷりってところなのですが、多けりゃいいかと言うとそうはいかず(だってそれなら栗を食べればいいじゃん、ってことになりかねないので)、羊羹とのバランスがとても大事になってきます。
そんな、ぎりぎりの、絶妙なバランスを保ちつつ、たっぷりと、ぎっしりと栗の入った栗蒸羊羹が石川県は松葉屋の「月よみ山路」なのでありました。
またまた奈良のK子ちゃんからのお届け、いつもいつもありがとうございます。
栗のほかにも胡桃もありまして、どちらも甲乙つけがたく美味。
もちろん写真など撮る暇もなく胃袋へとおさまっていきましたので、ご興味のある方は松葉屋さんのサイトでご覧になってぜひお取り寄せくださって、ご賞味ください。
緑茶はもちとんのこと、ブラックコーヒーに大変良くあいます。
冷たく冷やしたコーヒーとともに召し上がれ。


そうそう、インフルエンザで中止となったイベントですが、
「神戸まつり」は7月19日に
「三木山フォルクローレ祭り」は10月25日に開催決定です。
posted by ケロ at 16:24| Comment(0) | 日記

2009年05月18日

新型インフルエンザ感染地域より

土曜日の早朝ほり、なんだか大変なことになってしまっております。
渡航歴のない人から新型インフルエンザの感染者が出たということで、神戸市の一定の地域ではこの日の朝のうちに小・中・高の一週間の休校を決定。
各大学も自主的に休校を決めたようです。
土曜日はまだ、そんなことも知らずに外出してしまった人も多かったようですが、さすがに日曜日は人出が少なかったですね。
マスク使用率も高いですね。
なんといつも行くスターバックスのスタッフのみなさんもマスクです。これは大変珍しい光景でしょう。

明けて月曜日。
学校が休みということもあって、極端に人が少ない。
しかもみんなマスク。
おっとキオスクも臨時休業だ!
UFJ銀行の三宮支店でもインフルエンザ感染者が出たということで、支店職員はすべて自宅待機、他店からの応援で一部業務を縮小しての営業になるとニュースでやってましたね。

保育園までもが休みになるということで(流れからして当然の処置とは思うが)、社会生活への影響は大変大きくなっているようです。
保育園にお子さんを預けてお仕事をされているお母さん、お父さんにとっては切実な問題ですよね。

楽しみにしていました神戸祭りが中止になったのは、大変残念なことではありますが、こうした状況の中妥当な決定だったと思います。
新型インフルエンザが若年層を中心に広がりをみせている中、学校園を休校にするというのも、一定の効果が期待できる措置なのかとは思います。
新型インフルエンザが今のところさほど性質の悪いものではないとしても、いつ変異して感染を拡大するかわからないという危険性を考えると、戒厳令さながらのこうした措置もいたしかたないことなのかな....とは思います。
しかしながら社会生活への大きな影響を考えますと、果たして今回の状況は冷静かつ適切な判断だったと言えるのかどうか。
それに、学校園の休校は有効な措置とはいえ、いつ再開するのかというのは非常に重要な問題だと思います。
とりあえず1週間ということではありますが、1週間で十分なのかどうかこのあたりの見極めは難しいと思います。
といって、こうした状況が1週間以上続いてしまう場合社会生活への影響はさらに深刻なものになっていくでしょう。

今自分が冷静な判断をしているのか、パニック状態でのヒステリックな判断をしているのか、渦中にあると見えにくくなるものです。
後で思い返してみて、何であんな判断をしてしまったんだろうと思うことはままあることですからね。
そして更に危険なのは、今回の結果が大げさな措置だったね、なんてことに終わった場合(それにこしたことはないのですが)、次にもっと大きくかつ深刻な脅威に見舞われたときに感覚が麻痺してしまい対応が遅れてしまうことです。

いずれにせよ、感染された方の一日も早い回復と、これ以上感染が拡大していかないことを祈ります。


ただ今メールが入ってきたところによると、毎年恒例の三木山ふぉるくろーレ祭りも中止とのこと。
24日の日曜日ですからねえ...この状況では仕方ないでしょう。
posted by ケロ at 10:38| Comment(0) | 日記